秩父鉄道の影森駅から伸びている石灰石鉱山専用線、武甲線廃線跡を調査した。
石灰石を積んだ貨物列車が多数行き来することで知られる秩父鉄道ですが、ここ影森駅は貨物列車の始発駅です。駅西方に秩父太平洋セメント三輪鉱業所があり、ここで採掘される石灰石が熊谷市の工場まで出荷されています。石灰石は鉱業所内の荷役線で貨車に積み込まれ、専用線を介して影森駅まで運搬されますが、今回はその専用線を調査しました。
これだけでは終わらないのが秩父鉄道のすごいところ。実は影森駅からは専用側線の他に、秩父鉄道武甲線も分岐していました。1984年に廃止された後は歩道として整備されていますが、その割には鉄道の痕跡が散見されました。終点の武甲駅は驚くべき姿になっていました。
Googleマップで地図を見る影森駅 11:11
秩父鉄道のホームに降り立つと、なんとも魅力的な線路が広がっています。これだけ本数があれば、配線図の書きがいがあるというもの。まずは御花畑側の踏切から見てみることにします。
たまらないですね。構内東側(写真左側)には貨物側線が8線あります。現在は左側の数本を中心に石灰石列車の発着に使われているようです。西側(写真右側)の側線2本は旅客電車の留置に使われている模様ですが、小口扱い貨物の荷役線だったのは一目瞭然です。
反対側を見ると、シーサスの先に安全側線。一見無意味な設備のように見えますが、手前2線の両方に安全側線を設置したのとほぼ同じ効果が期待できる配線です。貨車操車場など安全側線を設けるのに十分なスペースがない箇所でよくみられます。
とはいえ、写真を見る限り用地不足とはとうてい思えません。専用側線か何かの跡かとも思いましたが、それらしい痕跡はありませんでした。
踏切を渡り、駅の西を回って浦山口側へ向かいます。駅裏には昭和電工の倉庫が。なんだか貨物扱いの匂いがしますね。
西側に回ってびっくり。昭和電工の荷役線が草に埋もれてそのまま残っています。JRであればとっくに撤去しているでしょうが、さすが秩父鉄道。
なお、Wikipediaは駅南方に位置する昭和電工秩父事業所からこの倉庫まで軽便鉄道が通っていたことに言及しています。この踏切を通る道路はいかにも鉄道らしいカーブを描いており、おそらくは軽便鉄道の跡地を転用したものでしょう。写真を取り忘れたのが悔やまれます。
構内の配線を詳しく見てみましょう。手前に延びる線路が3本あり、右からそれぞれセメント専用線、武甲線(廃線)、秩父線浦山口方面に繋がっています。
7本ある貨物側線のうち、右側3本はセメント専用線に収束しています。専用線からは現在でも石灰石が発送されているため、線路は光っています。なぜ今日は貨物列車が停まっていないのでしょうね……。
残りの4線は武甲線跡と秩父線浦山口方面に接続しています。両線とも貨物列車は1980年代に廃止されていて、こちらの側線は使用されていません。……ということは1980年代以降全く配線変更をしていないということでしょうか?
振り返って浦山口方を見てみます。片渡りの先に線路が3本延びています。右がセメント専用線、中央が武甲線、左が秩父線浦山口方面です。武甲線の廃止前は、このようなのどかな場所に3線区間があったということになります。高度成長期のコンクリート需要を支えるため、ここから大量の石灰石が発送されてきたのでしょう。
秩父太平洋セメント三輪鉱業所専用線 11:28
少し浦山口方に進んでみましょう。
武甲線跡のレールは少し踏切で途切れてしまいます。ここまでが引上げ線として残されているようです。
ちなみにこの踏切は歩行者専用の小さな踏切で、緊急時には発煙筒を焚くようです。
その先でセメント専用線が急勾配を登る一方、武甲線と秩父本線はやや下っていきます。写真の地点ではセメント専用線が踏切で交差する道路を、武甲線と秩父本線は下からくぐっています。ここから見ると、武甲線のレールがまだ残っていることが分かりました。後述の前面展望動画を見ると、上の踏切のすぐ先でレールが復活しているのがわかります。……廃止から既に30年が経っていますが、撤去する気はないのでしょうか。
セメント専用線をたどってみます。専用線は右に急カーブし、石灰石の採れる山へと延びていきます。脇に道路があり、併用軌道のような雰囲気になっていました。
カーブを曲がると、物々しいゲートが現れました。これが「秩父太平洋セメント三輪鉱業所」です。調べてみると三輪鉱業所の設立には、第一国立銀行や東京海上火災保険などを設立したことで知られる渋沢栄一が関わっていたとのことです。
日本屈指の大鉱床として知られる武甲山では、他に菱光石灰工業や武甲鉱業が大量の石灰石を採掘していて、既に山頂付近の地形が大きく変わってしまっています。余談ですが、両社が採掘する石灰石はそれぞれ横瀬、高麗川のセメント工場に運ばれているようです。どちらも専用線があったことで知られています。
線路は工場敷地内で4線の荷役線に分かれます。……貨車の姿が見えませんね。白状すると、この日(平日)は石灰石鉱山が操業していなかったようで、貨車は武州原谷の貨物駅に留置されていました。入換作業が見学できず残念でした。
次回は武甲線の廃線跡をたどっていきます。
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