北陸トンネル火災事故「機関士処分」の真偽

北陸トンネル火災事故「機関士処分」の真偽

はじめに

北陸トンネルは北陸本線南今庄~敦賀間にあるトンネルで、1962年の開通以来関西と北陸地方を結ぶ旅客・貨物輸送の大動脈として機能してきました。2024年3月の北陸新幹線敦賀延伸で長距離旅客輸送の役目は新幹線に譲るものの、貨物輸送は引き続き北陸トンネル経由で行われます。

北陸トンネルといえば想起されるのが北陸トンネル急行きたぐに火災事故です。これは1972年11月6日未明に下り急行「きたぐに」に連結された食堂車で火災が発生し、国鉄の長大トンネルにおける火災対策の不備もあって死者30人、負傷者714人の大惨事となった事故です。このような惨事となった原因は可燃物の多い車両構造、消火設備・排煙設備やトンネル照明の不備、乗務員の避難誘導の不手際などが複雑に絡みあったもので、現在の長大鉄道トンネルでは様々な火災対策が実施されています。

さて、本記事を書いた目的は長大トンネルの火災対策を論じるためではなく北陸トンネル火災事故についてインターネット上で知られている風説を検証するためです。この風説は2023年時点のWikipediaにも掲載されていました。

1969年(昭和44年)にも、北陸トンネル内を通過中の寝台特急「日本海」のカニ21形電源車で列車火災が発生したが、この時は列車乗務員が「トンネル内での消火作業は不可能」と判断して列車をトンネルから脱出させ、消防と協力して速やかな消火作業を行った結果、焼損客車は1両に留まり死傷者を生じさせずに済み、マスコミ報道でも賞賛された。しかし、国鉄は「即時停止規定を無視した運転規則違反」だとして乗務員たちを処分し、結果的にはこの処分が本件事故の大惨事を招く要因ともなった。(坂本衛著、「車掌乗務手帳」大阪車掌区史記録より引用)。当時は運転マニュアルでの火災時の取り扱いが本社レベルでは明文化されていなかった[注釈 3][注釈 4]。

Wikipedia「北陸トンネル火災事故」の2023年7月時点の版より(太字は作者)

なんと、きたぐに火災事故の3年前にも北陸トンネル内で火災事故があり、死傷者が出なかったにも関わらずトンネルから列車を脱出させた乗務員が処分されていたというのです。これが本当ならとんでもないことです。

はたして、このWikipediaの記述は事実なのでしょうか? 以下、当時の文献をもとに検証していきます。なお、以下区別のために1969年の死傷者の出ていない事故は「日本海火災事故」、1972年の死傷者744人を出した事故は「きたぐに火災事故」と呼びます。

当時の文献を探る

北陸トンネル南今庄方坑口
北陸トンネル南今庄方坑口

まず、Wikipediaには「坂本衛著、「車掌乗務手帳」大阪車掌区史記録より引用」と書いてありますので、こちらの書籍を見てみましょう。正確な書名は『車掌真乗務手帳(真はマルの中に真)』のようです。しかし書籍のどこを読んでも日本海火災事故で乗務員が処分されたという話は記述がありません

また、京都鉄道博物館の図書室に出典資料である『大阪車掌区史』が所蔵されていましたのでこれにもあたってみましたが、これにも日本海火災事故で乗務員が処分されたとする記述はありません。それどころか、当時の大阪車掌区長が関係者全員の表彰を具申したという正反対の記述があります。

さて、最後に特に申し述べておきたいことは、このような事故が発生し、それが大事に至らずに適切に処理をされると、往々にしてこれまではそのとおりの“長”だけを賞する、いわゆる「一将功なりて」の例が多かった。しかしこのおりは、違った。事故処置時においては、関係者全員の協力——このことが最も大切である、ということを知っておられた当時の(個人名)区長は、特にそのことを強調されて関係者全員の表彰方を具申されたのである。

「士はおのれを知る人のために死す」とか言う。私はこのような区長をもって、本当に幸せだった、と今でも思っている。

『大阪車掌区史』内「列車火災・見事な連携プレー 特急“日本海”の客専と乗務掛」より引用

また、きたぐに火災事故当時の新聞、週刊誌をあたってみましたがこちらにも日本海火災事故で乗務員が処分されたとする記述はありませんでした。当時、敦賀消防署や労働組合からの警告を無視し続けて火災対策を怠り大惨事を引き起こした国鉄はマスコミに猛バッシングを受けており、本当に日本海火災事故で乗務員が処分されていたのであればそれがマスコミに叩かれていないのはどう考えても不自然です

さらに、きたぐに号の機関士と車掌は業務上過失致死傷の疑いで刑事訴追されていますので裁判の判決文を見てみましたが、こちらにも日本海火災事故への言及はありませんでした。もし仮にWikipediaにある通り日本海火災事故での不当な処分がきたぐに火災事故における乗務員の判断に影響したのであれば、それを無罪判決を勝ち取る材料として利用しない弁護人はいないでしょう。また、後述するとおり、判決文にはきたぐに火災事故の前から国鉄内部に既にトンネル内の停止を回避すべきというルールが存在していたことが示されています。

ここまででもう既に例の風説が「デマ」であるという状況証拠はそろったと考えていいでしょうが、ここからは風説に関してさらに詳細な事実確認を行い、さらに風説の出どころについても考えてきます。

事実確認をしてみる

京都鉄道博物館に保存されている20系客車
京都鉄道博物館に保存されている20系客車

まず、冒頭のWikipediaの記述をもう一度見てみましょう。

1969年(昭和44年)にも、北陸トンネル内を通過中の寝台特急「日本海」のカニ21形電源車で列車火災が発生したが、この時は列車乗務員が「トンネル内での消火作業は不可能」と判断して列車をトンネルから脱出させ、消防と協力して速やかな消火作業を行った結果、焼損客車は1両に留まり死傷者を生じさせずに済み、マスコミ報道でも賞賛された。しかし、国鉄は「即時停止規定を無視した運転規則違反」だとして乗務員たちを処分し、結果的にはこの処分が本件事故の大惨事を招く要因ともなった。(坂本衛著、「車掌乗務手帳」大阪車掌区史記録より引用)。当時は運転マニュアルでの火災時の取り扱いが本社レベルでは明文化されていなかった[注釈 3][注釈 4]。

Wikipedia「北陸トンネル火災事故」の2023年7月時点の版より(太字は作者)

これが事実であるには、下記の①~⑤がすべて事実である必要があります。

  • ①日本海火災事故で火災が発見されたのは直ちに非常ブレーキを扱えば列車がトンネル内で停車してしまう場所であった
  • ②列車乗務員がブレーキを遅らせて列車をトンネル内から脱出させた
  • ③列車乗務員がブレーキを遅らせたのは規則違反だった
  • ④国鉄は上記規則違反により乗務員を処分した
  • ⑤上記処分がきたぐに火災事故において乗務員の判断に影響した

以下、①~⑤を順番に検証していきます。

①火災の発見場所

まず、日本海火災事故で電源車の火災はどこで発見されたのでしょうか。『大阪車掌区史』に国鉄の事故報告書が引用されていますので、これを見てみましょう。

本列車木ノ芽(信)定通見込みで時速95キロでだ行運転中、北陸隧道出口手前200メートル付近で異音を感じ後方を反見した機関士が、前から1両目(電源車)が燃えているのを発見。ただちに急停車手配により、列車を停止させた。

車内巡回中の車掌は車外を注視したところ、前から1両目が燃えていたので、ただちに乗務掛に列車防護を指示し、消火器を持ち他の車両の乗務掛と共に1両目まで赴き消火するも、消火不能と判断し、付近に居合わせた職員に消防車出動方連絡を依頼。

『大阪車掌区史』内「列車火災・見事な連携プレー 特急“日本海”の客専と乗務掛」より引用

機関士が火災を発見したのは、北陸トンネル出口200メートル手前とのことです。

長大トンネル内ですので、列車は当時最高速度に近い速度で運転していたことでしょう。最高速度で運転している客車列車であればたとえ非常ブレーキを扱ったとしても数百メートル程度過走しますので、たとえ機関士が火災発見後すぐに非常ブレーキを扱ったとしても、機関車次位に連結されていた電源車がトンネル内に残った状態で停車する可能性は非常に低いといえます。したがって、「①日本海火災事故で火災が発見されたのは直ちに非常ブレーキを扱えば列車がトンネル内で停車してしまう場所であった」というは事実かどうか怪しいと考えます。

②列車乗務員のブレーキ扱いについて

仮に機関士が火災発見直後にブレーキを扱っていたとしても列車の電源車部分がトンネル内に停車しなかったとして、列車乗務員が意図的にブレーキを遅らせたのかどうかは別の問題です。当時の新聞報道を見ると、朝日新聞に次のような記述があります。

敦賀側出口に近い北陸トンネル内で、(個人名)機関士は後の車両がゴーゴーという異音を発しているのに気づいた。ふり返ってみると二両目の電源車下部から火と煙が上がっている。(個人名)機関士はとっさに「トンネル内の停車はあぶない」と判断、そのまま列車を走らせ、トンネルを出るや、一気に制動をかけた。この時、たまたま電源車内にいた乗務員(個人名)さんら2人が制動の非常弁をひいたのと合ったらしい。

「朝日新聞」1969年12月6日夕刊11面より

この新聞報道によれば、たしかに機関士が意図的にブレーキのタイミングを遅らせたのは事実のように思えます。

しかし、これはおかしいのです。同じ朝日新聞には「最後から二両はトンネルの中だった」とあり、停車した時に13両の客車のうち11両がトンネルの外に出た状態となります。機関車の長さを加えても、列車の最前部はトンネル出口から240m程度の位置にあったことになります。トンネルを出てからブレーキをかけたにしては、停止した位置がトンネルに近すぎるのです。

実は、同じ日の読売新聞を見てみると少し違った事実が浮かび上がってきます。

電源車は出力三百五十キロ・ワットの発電機をそなえ、暖房、電灯などの電力をまかない、京都府向日町運転所の(個人名)(個人名)両技師が操作していたが「トンネルを出る直前、車台下部から煙が出ているのに気づきあわててブレーキをかけ、(個人名)機関士に緊急停車を連絡した。またたく間に三両目付近まで煙がたちこめ車体の塗料に燃え広がった」と出火のもようを話していた。

「読売新聞」1969年12月6日夕刊11面より

この報道のとおりであれば、電源車に乗務していた職員が火災発見に気づきトンネル内であわててブレーキをかけたということになります。機関士がブレーキを遅らせたのが事実であったとしても、それとは別に電源車の職員も火災発見後非常ブレーキをかけていて、それはトンネル内であった可能性があるのです。このことから、「②列車乗務員がブレーキを遅らせて列車をトンネル内から脱出させた」については、主語が「機関士」ではなく「列車乗務員」であるならばこれも事実かどうか疑わしいと考えられます。

③火災発生時の停止義務について

上記のとおり、少なくとも機関士が火災発見後にトンネル内を理由にブレーキを遅らせたのは事実でありそうです。それでは、トンネル内であっても火災で直ちに非常ブレーキを扱わなかったことは規則違反だったのでしょうか。

たしかに、国鉄の内部規程には異常時は即時停止しなければならない旨の規定がありました。

(事故発生のおそれのあるときの処置)
第17条 列車及び自動車の運転又は船舶の運航に危険のおそれがあるときは、従事員は、一致協力して危険を避ける手段をとらなければならない。万一正規の手配によつて危険を避ける暇のないときは、最も安全と認められる処置をとらなければならない。
 直ちに列車又は自動車を止めるか又は止めさせる手配をとることが、多くの場合、危険を避けるのに最も良い方法である。
旧国鉄 安全の確保に関する規程(管理規程)より
(運転事故発生に対する処置)
第6条 運転事故が発生するおそれのあるとき又は運転事故が発生して併発事故を発生するおそれのあるときは、ちゆうちよすることなく関係列車又は車両を停止させる手配をとらなければならない。
 運転事故が発生したときは、その状況を判断して人命に対して、最も安全と認められる方法により、すみやかに応急処置をとらなければならない。
旧国鉄 旧国鉄運転取扱基準規程より

ところが、トンネル・橋梁で何らかの事態が発生した場合の対応については別に定めがありました。これについては刑事裁判の記録に引用されています。

まず、きたぐに号の客扱専務車掌が所属していた新潟鉄道管理局では、乗務員に配付していた『異常時の取扱』と題する小冊子で「運転中列車火災が発生した場合」として次のような手順を定めていました。

(1) 列車の緊急停止
ア 電気ブレーキ、車掌弁により停止させる。
イ (略)
ウ 橋りょう、トンネル、人家密集地帯等危険な箇所をさけ消火に便利な場所に停止させる。
(2)~(5) (略)
福井地方裁判所昭和55年11月25日判決文より引用(太字は作者)

また、きたぐに号の機関士が所属しており、事故現場の北陸トンネルを管轄する局でもある金沢鉄道管理局が定めていた「列車火災時における処置手順」は次のようになっていました。

手順処置注意事項
(1) 列車の停止と列車防護○火災列車を直ちに停止 ○トンネル内橋りょう上はなるべく避ける。
○パンタグラフ降下
○転動防止手配
○隣接線の列車を停止 ○信号炎管、軌道短絡器、無線機使用
(2)~(4) 略
福井地方裁判所昭和55年11月25日判決文より引用(太字は作者)

このように、きたぐに火災事故以前より鉄道管理局レベルではトンネル内での列車停止を避けるべきというルールが定められていたことになります。従って、日本海火災事故で機関士がトンネル内での列車停止を避けるためにブレーキを遅らせたのはルールに従った対応ということになります。

そのようなルールがある以上、きたぐに火災事故においてトンネル内で列車を停止させた機関士は、火災事故対処のルールを守らずに被害を拡大させたのではないかと思う方もいるかもしれません。しかし判決文では逆に、当時の国鉄がいかに長大トンネルの火災に対して無策・無責任であったか、長大トンネルの火災対処方法が曖昧なまま現場の判断に委ねられていたかが糾弾されています。少し長いですが判決文を引用させていただきます。

《証拠省略》によると、国鉄の保安理念の根幹をなすものとして、異常時においては列車を停止させるという基本原則の存在を認めることができる。この原則は、国鉄開業以来の保安理念であって、列車火災に限らず、走行列車に異常事態が発生した場合には直ちに列車を停止させ、その異常事態を除去したうえではじめて列車の運転を再開するというもので、このことは、動体である走行列車の安全にとってみれば至極当然のことであった(中略)

ところが、「両局処置手順」においては、前記認定のように、右の基本手順に加えて、トンネル内、橋りょう上などでの火災では直ちに停止することなく、これらを避けて(金鉄局の処置手順では「なるべく」避ける)停止することを定め(以下この定めを「トンネル内停止回避規定」という)、その文言上だけからすると、トンネル内は列車停止の原則の適用されない例外的な場合とされ、人員の許す範囲内で、列車のトンネル外までの走行と消火という併行作業を要求していると解されるものであった。しかし、《証拠省略》によれば、右の「トンネル内停止回避規定」は、トンネル内に火災列車が停止することにより、ごく常識的に予想される消火作業、切離作業、乗客の避難誘導などへの支障を考慮して設けられたにすぎず、その前提となる異常事態を抱えた列車がトンネル内を走行することの危険性については、何ら実質的、科学的な検討を加えていなかったものであることが認められる。(中略)

以上のことからすると、現場従事員が、「トンネル内停止回避規定」の実質的な運用規準となる火災列車のトンネル内走行の安全性を判断するにあたっては、自己の列車乗務等から得た経験的知識に頼るよりほかないところ、一方においては、前記のような列車停止の原則が厳然と存在していたことから、(中略)、右安全性を確信できないような場合は、前記列車停止の原則に従い、トンネル内に停止したうえで次の処置に移るべきもので、それが、当時の指導及び処置手順に則った安全な事故回避措置として、各従事員に要求されていたものである

福井地方裁判所昭和55年11月25日判決文より引用(太字は作者)

④国鉄は上記規則違反により乗務員を処分した

規則違反の事実が存在しない以上、乗務員が処分されるのはあり得ません。また前述のとおり、乗務員が処分されたとする信頼できる文献はありません。

⑤上記処分がきたぐに火災事故において乗務員の判断に影響した

これに関しては乗務員の内面の問題となりますので今更検証するのも困難ですが、すくなくとも刑事裁判で弁護人が被告人に有利な材料としてそれを主張していない以上、日本海火災事故の国鉄側の対応が乗務員の判断に影響した可能性は低いと考えています。

事実確認まとめ

ここまでまとめると次のようになります。

①日本海火災事故で火災が発見されたのは直ちに非常ブレーキを扱えば列車がトンネル内で停車してしまう場所であった?
火災発見はトンネル出口付近であり、仮に直ちに非常ブレーキを扱ったとしても、列車前頭部の火災当該車両がトンネル内にとどまったかどうか怪しい。
②列車乗務員がブレーキを遅らせて列車をトンネル内から脱出させた?
機関士がブレーキを遅らせたのは事実だが、それとは別に電源車乗務員が火災発見後直ちに非常ブレーキを扱っていた
③列車乗務員がブレーキを遅らせたのは規則違反だった?
きたぐに火災事故以前より列車火災時にトンネル内での停止を避けるルールが存在した
④国鉄は上記規則違反により乗務員を処分した?
信頼できる根拠がない
⑤上記処分がきたぐに火災事故において乗務員の判断に影響した?
信頼できる根拠がない

これだけ事実がそろってしまうと、日本海火災事故で乗務員が処分されたという言説は「ほぼデマ」であると言わざるを得ないと思います。

デマの震源はどこなのか?

それではこのデマはどこから広まったのでしょうか?

Wikipediaの過去版を遡ると、2006年に北陸トンネル火災事故の記事が立てられた時すでにこの話が書かれています。

なお、「きたぐに」事故の前の1969年にも北陸トンネル内を通過中の寝台特急「日本海」で列車火災が発生したが、この列車の乗務員の機転で当時の規則を無視して列車をトンネルから脱出させ、速やかな消火作業を可能とした。このため死傷者を生じさせなかったが、国鉄上層部はこれを「規定違反」として処分し、運転マニュアルの見直しを行わなかった。そのため事故列車は長大トンネルの中間で停止せざるを得ず、大惨事を惹起した。多数の犠牲の結果責任として乗務員3名が起訴され、裁判で長期にわたって争われたが、最善を尽くしたとされて無罪になった。本事故後、先述の「日本海」の乗務員に対する処分も撤回された。

Wikipedia「北陸トンネル火災事故」の2006年4月時点の版より(太字は作者)

次に、前身の記事である「鉄道事故」の編集履歴を遡ってみました。まず、2004年9月にあるユーザーが「北陸線北陸トンネル列車火災事故」の節につぎのように書き加えました。

しかし、この事故の数年前にも北陸トンネル内で列車火災が発生し、トンネルを脱出して消火作業をスムーズにしたため死者、けが人ともいなかったが国鉄上層部は、この事実を無視していた。

Wikipedia「鉄道事故」の2004年9月時点の版より

これは上で検証した通り全く正しい記述です。この記述が、2005年1月に下記のように書き直されます。

「きたぐに」事故の数年前にも北陸トンネル内で列車火災が発生したが、この列車の乗務員は当時の規則を無視して列車をトンネルから脱出させ、速やかな消火作業を可能とした。このため死者・負傷者を生じさせなかったが、国鉄上層部はこの事例を閑却していた。

Wikipedia「鉄道事故」の2005年1月時点の版より

この方は、記事全般にわたって分かりにくい記述や百科事典として相応しくない些末な事故に関する項目を改訂・削除し、記事全体を整理してクオリティを上げる編集をなさっています。現在Wikipediaがある程度信頼のおける知識体系となっている裏にはこのような方の編集の努力が不可欠であり、このような努力には深く敬意を表したいと思います。しかしながら、この文章改訂はちょっとまずかったと思います。

というのは、元の文章には存在しなかった「当時の規則を無視して」という内容が追加されてしまっています。前述のとおり火災事故前の運転取扱基準規程で事故時に列車を直ちに停止することが定められていたことは事実ですが、一方で列車火災時にトンネル内での停止を避けるルールもあった以上、これは誤りということになってしまいます。

さらに、2005年10月には決定的な編集がなされます。

このため死者・負傷者を生じさせなかったが、国鉄上層部はこれを「規定違反」として処分し、北陸トンネル惨事の引き金を引いた。この大惨事後処分は撤回された。

Wikipedia「鉄道事故」の2005年1月時点の版より

問題の乗務員が処分されたと主張する内容が追加されました。IPユーザーによる午前0時台の編集で、参考となる出典は一切しめされていません。何か私が発見できていない出典を見て書いたのか、晩酌の勢いで思いついたことを書き加えたのか、検証するのは難しいと思います。

このように、問題のデマはWikipedia内の複数回の編集作業で不幸にも発生した「伝言ゲーム」と出典不明の加筆により構成されたと考えられます。本記事が北陸トンネル火災事故に関する正しい事実が広まるきっかけとなりましたら幸いです。

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